トップページ › エヴェレスト街道をトレッキング


エヴェレスト街道トレッキング(毛利 昭)
〔2012年12月26日〜2013年1月4日〕

皆さんお元気ですか。あらためて「初春のお喜びを申し上げます。
昨日、ネパールから帰国しました。僅か10日間の日程で、支援を続けている小学校や技術学校を訪問し、その足でエヴェレスト街道をトレッキングするスケジュールのため、チャーターヘリコプターを駆使しての山行となり、ヘロヘロに疲れての帰国となりました。
エヴェレスト街道の出発点となるルクラ飛行場へは18人乗りの双発機で飛び、高度順化のためルクラに宿泊し、翌日はヘリコプターでヒマラヤガイドとして知られるシェルパ族が住む村、ナムチェバザールまで飛びました。この間は本来、高度差1000m程の高度差を上下し体を慣れさせる区間で、この行程には2日間を要するのですが、この間を僅か10分のフライトで2日分を浮かせ、更なる先を目指しました。
ナムチェの丘に立つエヴェレスト・ビュー・ホテルは日本人が経営するホテルで、この周辺はエヴェレストのビューポイントとして知られております。今回もエヴェレスト(8848)はもとより世界4位の高峰ローッエ(8516)やマッターホルンを彷彿とさせるアマダブラム(6814)、聖なる山タムセルク(6618)などが見渡すことが出来ました。
街道の目的地はベリチェ(4243)か少なくともタンボチェ(3867)まではと思っていたのですが、自身や同行者の体力と装備を考えれば当初の計画を断念せざるを得ず、ナムチェの北に聳える聖山タムセルク(5778)の麓をトレッキングする計画に変更しました。その行程とて4000m級の高地を上下する登山と宿泊であり、朝晩の寒さや空気の薄さに悩まされる旅となりました。現地には5日間滞在したのですが、最終日はへりでルクラには寄らずに直接カトマンズまで飛んでの帰路となりました。
全ての日程でエヴェレストが顔を出し、朝日あるいは夕日に輝く山々の写真を撮ることが出来ましたが、心残りはタンボチェまでの行程であり、せめてへりの窓越しにでもとフライトを依頼し、へりでエヴェレストBC(ベースキャンプ)の方まで飛んで貰いました。レスキュウのためのヘリポートはそれぞれの村にあり、着陸の可否を打診したのですが当然拒否されました。
本行程の詳及び支援している学校等の状況については、後日報告書の形で出す予定です。今回は写真添付と概要といたします。写真はエヴェレストとローツエの昼間と夕日に染まるエヴェレストです。両山の間の鞍部がサウスコルと呼ばれております。別な写真は街道沿いに設置されているゴミ箱です。写真は木製ですが石造りの立派な物の方が多く設置されております。もう一枚はチョルテン(小仏塔)の先の山がタムセルク、シェルパ族の聖なる山として崇められており登ることは出来ません。
殆どがナムチェバザールやクムジュン峠からのものです。エヴェレストは昨年より雪が少なく、岩肌が露出しておりました。
特筆すべきは、エヴェレスト街道に設置されているクズかごが、昨年までは竹製だったものが、今年は木製あるいは石造りとなっており、環境に対する意識の高さが形として表れておりました。
インド文化を強く受けているこの国では、カースト制度が厳然として残っており、「俺はゴミ拾いをするカーストではない」との意識の高い者が多く、ゴミの散乱は絶望的な状況にありました。
しかし、アルピニスト野口健氏(私が所属する富士山クラブの理事です)がエヴェレスト登頂ルートでの登山ゴミを回収したことが切っ掛けとなり、地元の人々に「ヒマラヤを美しく保とう」との意識が芽生え、街道沿いにゴミ箱が設置されるようになったものです。今では街道からゴミは消え快適なトレッキングが楽しめます。「ゴミ拾いは文化を変える」が証明された場所として紹介しておきます。
しかし、都市部はこうは行かず、ビニールやプラスチック類のゴミが至る所に捨てられて山になっており、それこそ絶望的な状況にあります。我々が支援している学校を含め、学校で学ぶ子供たちがこの事に気がつく日を待つしかないと寂しくなりますが、何かの切っ掛けがあれば人の意識も変わることを信じて支援を続けるつもりでおります。一緒にやりませんか。

Copyright(C)2013 YamananTokyoDousoukai All Rights Reserved